Life of Marilyn
- 1926年(0歳)誕生
- 6月1日、カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。本名はノーマ・ジーン・ベイカー。
母親が精神病を患っていたため、ロサンゼルスの孤児院や里親を転々とする少女時代を送る。
- 1942年(16歳)最初の結婚
- 整備工ジム・ドアティと結婚。ジムはまもなく海軍に徴兵され、マリリンは航空機部品工場に就職する。
19歳のとき、工場の取材で撮られた写真が陸軍の機関誌『ヤンク』に掲載され注目を集め、それを機に、ハリウッドのモデルクラブで活動を始める。
- 1946年(20歳)女優マリリン・モンロー誕生
- 20世紀フォックスのスクリーン・テストに合格。芸名を「マリリン・モンロー」に。ジムとは離婚。
その後『嵐の園』の端役で映画に初出演する。だが生活は苦しく、カレンダーのヌードモデルもこなした。
- 1953年(27歳)映画初主演
- 『ナイアガラ』で初主演。 ここで腰を大きく振って歩くモンロー・ウォークを披露した。
『紳士は金髪がお好き』『百万長者と結婚する方法』など主演映画が続々公開され人気女優に。
雑誌「プレイボーイ」の初代プレイメイト「今月の恋人」(Sweetheart of the Month)として特集され、セックスシンボルとしても有名になる。
- 1954年(28歳)2度目の結婚
- 相手は元ニューヨークヤンキースの野球選手ジョー・ディマジオ。
新婚旅行は日本。パンアメリカン航空のボーイング377で2月1日に来日した。空港には報道陣が殺到したため予定されていた歓迎パレードは中止に。2人は帝国ホテルへ直行、244号室に宿泊した。ホテル周辺には、大勢のファンが押し寄せた。旧帝国ホテル(ライト館)ではディマジオのために記者会見が開かれたが、報道陣の質問はすべてマリリンへのものだった。
ディマジオとの結婚生活は、たった9ヵ月!『七年目の浮気』で、地下鉄の通風口の上に立ったマリリンの白いスカートがまくれあがるシーンの撮影を見たディマジオが激怒したことが大きな原因と言われている。
- 1956年(30歳)3度目の結婚
- 劇作家アーサー・ミラーと結婚し、ミラーはマリリンのために脚本を書くなど結婚生活は順風満帆と思われたが、マリリンの精神が次第に不安定に。
- 1960年(34歳)女優賞受賞
- 『お熱いのがお好き』で主演、第17回ゴールデングローブ賞/最優秀コメディ女優賞を受賞。
- 1961年(35歳)アーサー・ミラーと破局。
- 実はマリリンは大統領となったジョン・F・ケネディと肉体関係に。1962年5月19日、マディソン・スクエア・ガーデンで行われたケネディの45歳の誕生日パーティに露出の多いドレスで登場し、“Happy Birthday To You”を歌唱。当時のマリリンは精神状態が不安定で大量の睡眠薬や精神安定剤を服用。アルコールも欠かす事はなく、撮影にもしょっちゅう遅刻していたといわれている。
マリリン・モンロー出演映画
- 1947年:『嵐の園』
- 1948年:『Ladies of the Chorus』
- 1949年:『Love Happy』
- 1950年:『彼女は二挺拳銃』
- 1950年:『アスファルト・ジャングル』
- 1950年:『イヴの総て』
- 1951年:『ふるさと物語』『Love Nest』
- 1952年:『ノックは無用』
- 1952年:『モンキー・ビジネス』
- 1952年:『人生模様』
- 1953年:『ナイアガラ』
- 1953年:『紳士は金髪がお好き』
- 1953年:『百万長者と結婚する方法』
- 1954年:『帰らざる河』
- 1954年:『ショウほど素敵な商売はない』
- 1955年:『七年目の浮気』
- 1956年:『バス停留所』
- 1957年:『王子と踊子』
- 1959年:『お熱いのがお好き』
ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)受賞 - 1960年:『恋をしましょう』
- 1961年:『荒馬と女』
マリリン・モンロー関連映画作品
- 『マリリンとアインシュタイン』(1985)
監督 ニコラス・ローグ
出演:テレサ・ラッセル/ゲイリー・ビューシイ/トニー・カーティス - 『ノーマ・ジーンとマリリン』(1996)
監督 ティム・フェイウェル
出演:アシュレー・ジャド/ミラ・ソルヴィノ - 『マリリン 七日間の恋』(2011)
監督 サイモン・カーチス
出演:ミシェル・ウィリアムズ /ケネス・ブラナー/エディ・レッドメイン
マリリン・モンローを主題にした楽曲
- 「キャンドル・イン・ザ・ウインド」エルトン・ジョン
- 「マリリン・モンロー」ニッキー・ミナージュ
- 「マテリアル・ガール」マドンナ
- 「フォトグラフ」デフ・レパード 他